ある日、ふと気づきました。
毎日のように香りに触れていると、
香りの “静けさ” や “余白” を
いつのまにか見落としてしまうことがあるのではないか、と。
そこで思い立ち、
一日だけ、香りを焚かない日をつくってみました。
香炉に火を入れず、
伽羅の箱も開けず、
白檀の甘さも、沈香の深さも呼ばない。
ただ、香りのない一日。
すると不思議なことに、
“香りがない” はずの部屋の空気が、
いつもより静かに、澄んでいるように感じられました。
沈黙が、そっと輪郭を持ちはじめたのです。
その沈黙の中で、
これまで気づかなかったことに気づきました。
香りは、ある時 に美しいのではなく、
ない時 に、その存在がそっと浮かび上がるのだと。
私たちは
「いい香りが欲しい」
「気分を整えたい」
と思って香を焚きますが、
香りの本当の役目は、
香りそのものよりも、
香りが消えた “あと” にあらわれる
心の静けさなのかもしれません。
次の朝、
ほんの少しだけ伽羅を温めたときのこと。
香りが立ちのぼった瞬間の深い安心感に、
胸の奥がふっとほどけていきました。
香りは、なくしてみるとわかる。
香りは、距離を置くと深まる。
その小さな発見が、
秋のはじまりにそっと灯った光のようでした。